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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)7263号 判決

原告

小口直子

ほか四名

被告

三貴通商株式会社

ほか三名

主文

一  被告三貴通商株式会社、被告清水茂利および被告御囲修一は各自、

(一)  原告小口よね子に対し金八五二万二一九七円および内金七二二万二一九七円に対する昭和四八年三月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(二)  原告小口直子に対し金一七五四万四三九四円および内金一六五四万四三九四円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(三)  原告兼原告竹波久司承継人竹波行子に対し金一一九八万一〇四六円および内金一〇五四万七七一三円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(四)  原告竹波久司承継人竹波昭、同竹波幹男に対し各金三一四万五二六一円および内金二七一万一九二八円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(五)  原告吉田平八に対し金七九三万七五八二円および内金六六三万七五八二円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

(六)  原告吉田蓉子に対し金七三三万七五八二円および内金六三三万七五八二円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

を支払え。

二  原告ら七名の被告仙台佐藤株式会社に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告ら七名と被告三貴通商株式会社、同清水茂利、同御囲修一との間に生じた分は右被告三名の負担、原告ら七名と被告仙台佐藤株式会社との間に生じた分は原告ら七名の負担とし、補助参加によつて生じた分は補助参加人の負担とする。

四  この判決第一項は、かりに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

(一)  被告らは各自

1 原告小口よね子に対し金八五二万二一九七円および内金七二二万二一九七円に対する昭和四八年三月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

2 原告小口直子に対し金一七五四万四三九四円および内金一六五四万四三九四円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

3 原告兼原告竹波久司承継人竹波行子に対し金一一九八万一〇四六円および内金一〇五四万七七一三円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

4 原告竹波久司承継人竹波昭、同竹波幹男に対し各金三一四万五二六一円および内金二七一万一九二八円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

5 原告吉田平八に対し金七九三万七五八二円および内金六六三万七五八二円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

6 原告吉田蓉子に対し金七三三万七五八二円および内金六三三万七五八二円に対する前同日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員

を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

二  被告ら

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

(一)  日時 昭和四八年三月九日午後三時四五分頃

(二)  場所 茨城県北相馬郡藤代町大字小浮気八一〇番地先路上

(三)  被害車 普通乗用自動車(横浜五五の三八三六号、以下、小口車という。)

右運転者 小口正喜(以下、亡正喜という。)

右同乗者 竹波節夫(以下、亡節夫という。)、吉田信一(以下、亡信一という。)

(四)  第一加害車 大型貨物自動車(泉一一や二二三二号、以下、御囲車という。)

右運転者 被告御囲修一(以下、被告御囲という。)

(五)  第二加害車 大型貨物自動車(宮一一や六六三号、以下、山田車という。)

右運転者 山田芳男

(六)  態様 小口車が国道一六号線を水戸方面から東京方面に向つて進行中、前記場所で先行車の渋滞のため徐行し停止しかかつたときに御囲車に追突され、対向車線に押し出されて対向してきた山田車に衝突したもの。

(七)  結果 亡正喜、亡節夫、亡信一が死亡し、小口車が破損して廃車のやむなきに至つた。

二  責任原因

(一)  被告三貴通商株式会社(以下、被告三貴通商という。)は御囲車を所有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき本件事故によつて生じた人的損害を賠償する責任があり、また、御囲車の運転者である被告御囲の使用者であるところ、本件事故は同被告が被告三貴通商の業務に従事中に後記過失によつて惹起したものであるから、被告三貴通商は民法七一五条一項に基づき本件事故によつて生じた物的損害についてもこれを賠償する責任がある。

(二)  被告清水茂利(以下、被告清水という。)は、被告三貴通商の代表取締役として同被告の被用者である被告御囲を監督していたものであるから、民法七一五条二項に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

(三)  被告御囲は御囲車を運転中、居眠り運転をして先行の小口車が交通渋滞のために停止しかかつているのに気付かずにこれに追突させて本件事故を惹起させた過失があるから、民法七〇九条に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

(四)  被告仙台佐藤株式会社(以下、被告仙台佐藤という。)は山田車を所有しこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき本件事故によつて生じた人的損害を賠償する責任があり、また山田車の運転者である山田芳男の使用者であるところ、本件事故は同人が被告仙台佐藤の業務に従事中に運転上の過失によつて惹起したものであるから、民法七一五条一項に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

三  損害

(一)  原告小口よね子、同小口直子の損害

1 亡正喜の逸失利益 二七三一万六五九二円

小口正喜は事故当時三〇歳の会社員で年一七八万四〇〇〇円の収入を得ていたものであるから、同人の就労可能期間を六三歳まで三三年、生活費を年三六万円としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の死亡による逸失利益の現価を計算すると二七三一万六五九二円となる。

2 小口車破損による損害 五〇万円

亡正喜所有の小口車の事故当時の価格は五〇万円を下らなかつた。

3 権利の承継

原告小口よね子(以下、原告よね子という。)は亡正喜の妻であり、原告小口直子(以下、原告直子という。)は子であるから、亡正喜の死亡に伴い同人の前記1、2の損害賠償請求権を原告よね子が三分の一、原告直子が三分の二の割合で相続した。

4 病院費用 五〇〇〇円

原告よね子は亡正喜の病院費用として一万〇七〇〇円を支払つたので、そのうち五〇〇〇円を請求する。

5 墓碑建設費用 三〇万円

原告よね子は亡正喜のために三〇万円を費やして墓碑を建立しなければならず、これも本件事故による損害である。

6 慰藉料 六〇〇万円

亡正喜の死亡に伴う慰藉料としては原告よね子、同直子に対し各三〇〇万円が相当である。

7 弁護士費用 二〇〇万円

原告よね子、同直子は原告訴訟代理人に本訴を委任し手数料として各一〇〇万円を支払う旨約束した。

8 損害の填補

原告よね子、同直子は亡正喜の母である小口トメとともに自賠責保険から五〇〇万五〇〇〇円を受領したので、右トメの慰藉料に一一〇万円、原告よね子、同直子の各慰藉料に一九五万円宛、原告よね子の病院費用損害に五〇〇〇円充当した。

(二)  原告竹波久司、同竹波行子の損害

1 亡節夫の逸失利益 一九六七万一五七〇円

亡節夫は事故当時二〇歳の会社員で年一一一万円の収入を得ていたものであるから、同人の就労可能期間を六三歳まで四三年、生活費を年二四万円としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の死亡による逸失利益の現価を計算すると一九六七万一五七〇円となる。

2 病院費用 一万七九〇〇円

原告竹波久司(以下、原告久司という。)は、亡節夫の病院費用として一万八九〇〇円を支払つたので、そのうち一万七九〇〇円を請求する。

3 葬式費用・墓碑建設費用 六〇万円

原告久司は亡節夫の葬式費用として三〇万円を支出し、さらに、三〇万円を費やして同人のために墓碑を建立しなければならず、これも本件事故による損害である。

4 慰藉料 六〇〇万円

原告久司は亡節夫の父であり、原告兼原告久司承継人竹波行子(以下、原告行子という。)は母であるから、亡節夫の死亡に伴う慰藉料は同原告らに対し各三〇〇万円が相当である。

5 弁護士費用 二〇〇万円

原告久司、同行子は原告訴訟代理人に本訴を委任し、手数料として各一〇〇万円を支払う旨約束した。

6 損害の填補

原告久司、同行子は自賠責保険から五〇一万七九〇〇円を受領したので、これを同原告らの慰藉料に二五〇万円宛、原告久司の病院費用損害に一万七九〇〇円充当した。

7 権利の承継

原告久司は亡節夫の父であり、原告行子は母であるから、亡節夫の死亡に伴つて前記1の逸失利益請求権を二分の一宛相続したが、原告久司は本訴提起後の昭和五一年八月一日に死亡したので、前記2ないし5の同原告固有の損害から6の填補額を控除した残額および右相続した逸失利益請求権は妻である原告行子および子である原告久司承継人竹波昭、同竹波幹男が三分の一宛相続により承継した。

(三)  原告吉田平八、同吉田蓉子の損害

1 亡信一の逸失利益 一六六七万五一六四円

亡信一は事故当時二一歳の会社員で年九八万八〇〇〇円の収入を得ていたものであるから、同人の就労可能期間を六三歳まで四二年、生活費を二四万円としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して同人の死亡による逸失利益の現価を計算すると一六六七万五一六四円となる。

2 権利の承継

原告吉田平八(以下、原告平八という。)は亡信一の父であり、原告吉田蓉子(以下、原告蓉子という。)は母であるから、亡信一の死亡に伴い同人の右逸失利益請求権を二分の一宛相続した。

3 病院費用 一万円

原告平八は亡信一の病院費用として一万五七〇〇円を支払つたので、そのうち一万円を請求する。

4 葬式費用・墓碑建設費用 六〇万円

原告平八は亡信一の葬式費用として三〇万円を支出し、さらに、三〇万円を費やして同人のために墓碑を建立しなければならず、これも本件事故による損害である。

5 慰藉料 六〇〇万円

亡信一の死亡に伴う慰藉料は原告平八、同蓉子に対し各三〇〇万円が相当である。

6 弁護士費用 二〇〇万円

原告平八、同蓉子は原告訴訟代理人に本訴を委任し、手数料として各一〇〇万円を支払う旨約束した。

7 損害の填補

原告平八、同蓉子は自賠責保険から五〇一万円を受領したので、これを同原告らの前記慰藉料に二五〇万円宛、原告平八の病院費用損害に一万円充当した。

四  結論

よつて、被告ら各自に対し、原告よね子は前記損害額合計から填補額を控除した残額一一六二万二一九七円の内金八五二万二一九七円および右金員のうち七二二万二一九七円に対する本件不法行為の日である昭和四八年三月九日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告直子は前記損害額合計から填補額を控除した残額二〇五九万四三九四円の内金一七五四万四三九四円および右金員のうち一六五四万四三九四円に対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金、原告行子は前記損害額合計から填補額を控除した残額に承継額を加えた一五三一万四三八〇円の内金一一九八万一〇四六円および右金員のうち一〇五四万七七一三円に対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金、原告久司承継人竹波昭、同竹波幹男はそれぞれ前記承継額三九七万八五九五円の内金三一四万五二六一円および右金員のうち二七一万一九二八円に対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金、原告平八は前記損害額合計から填補額を控除した残額一〇四三万七五八二円の内金七九三万七五八二円および右金員のうち六六三万七五八二円に対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金、原告蓉子は前記損害額合計から填補額を控除した残額九八三万七八五二円の内金七三三万七五八二円および右金員のうち六三三万七五八二円に対する前同日から支払ずみに至るまで前同割合による遅延損害金の各支払を求める。

第三請求原因に対する被告らの認否

一  被告三貴通商、同清水、同御囲

(一)  請求原因第一項(一)、(二)は認める。同(三)のうち運転者が亡正喜で亡節夫が同乗者であるとの点は争い、その余は認める。同(四)、(五)のうち御囲車が本件事故の加害車であるとの点は否認するが、その余は認める。同(六)については小口車と山田車および御囲車が接触したことは認めるが、接触の前後および態様は争う。同(七)は認める。

(二)  請求原因第二項(一)のうち、被告三貴通商が御囲車を所有して自己のために運行の用に供していたこと、および被告三貴通商が被告御囲の使用者であり、本件事故当時被告御囲が被告三貴通商の業務に従事中であつたことは認めるが、その余は否認する。同(二)のうち、被告清水が被告三貴通商の代表取締役であることは認めるが、その余は否認する。同(三)は否認する。

(三)  請求原因第三項については、原告らの身分関係および相続関係は認めるが、その余はいずれも不知。

二  被告仙台佐藤

(一)  請求原因第一項については、(六)の態様は争うが、その余は認める。

(二)  請求原因第二項(四)については、被告仙台佐藤が山田車の所有者であること、および、被告仙台佐藤が山田芳男の使用者であり、本件事故当時同人が被告仙台佐藤の業務に従事中であつたことは認めるが、その余は否認する。

(三)  請求原因第三項については、原告らの身分関係および相続関係は認めるが、その余はいずれも不知。

第四被告らの主張

一  被告三貴通商は、同清水、同御囲

(一)  本件事故は小口車を運転していた亡節夫(仮免中)が制限時速を三〇キロメートルもこえる高速度で無謀な追越をして小口車左後部フエンダーを御囲車前バンバー右先端に接触させ、ろうばいして右にハンドルを切つたため小口車が対向車線にとび出して対向車である山田車と正面衝突をし、山田車と一体になつて押し戻されてくる小口車に御囲車が巻きこまれて三重衝突の形になつたものであり、被告御囲が居眠り運転をして御囲車を小口車に追突させ対向車線に押し出した事実はなく、被告御囲には本件事故発生について何ら過失はない。したがつて、本件事故の専ら小口車を運転していた亡節夫の無謀な追越および対向車である山田車運転手山田芳男の前方不注視、避譲義務違反等の過失によつて発生したものであり、御囲車には構造上の欠陥または機能上の障害もなかつたものであるから、被告三貴通商は自賠法三条但書により免責されるべきである。

(二)  かりに、右主張に理由がないとしても、本件事故の原因がすべて被告御囲の居眠運転の過失にあるものではなく、小口車を運転していた亡節夫の運転未熟等の過失と山田車運転手山田芳男の前記過失が競合して発生したものであるから、相当な過失相殺がなされるべきである。

二  被告仙台佐藤

本件事故は専ら御囲車の運転者である被告御囲の過失によつて発生したものであり、被告仙台佐藤および山田車の運転者である山田芳男には山田車の運行に関して何ら過失はなかつた。すなわち、

車両は、対向車が中央線を越えずに安全に運転するものであることを信頼して運転を継続すればたり、対向車が法に違反し突如として中央線をこえて自車の進路にまで立ち入ることを予想して常にこれに対処できる方法をとりながら進行しなければならないものではない。もつとも対向車の現実の走行からみてその後に行われるであろう異常走行が予見される場合は対向車の運転を信頼しえない特別の事情があるといえるが、本件においては、事故直前まで対向車は円滑に走行しており、かかる特別の事情はなかつたので、右山田には小口車が突如中心線をこえてくることまで予見する義務はなく、かつ、山田車は時速約五〇キロメートルの速度で本件事故現場直前に差しかかつたところ、約五、六メートル右前方にいた小口車が御囲車に追突されたことにより突然センターラインをこえて山田車の走行車線に進入してきたために小口車に衝突したものであるが、乾燥したアスフアルト舗装という事故現場の道路状況においても小口車の進入を発見して山田車を急停車させるには約二五・八一メートルを要するのであるから、右山田としては衝突を回避することは全く不可能であり、本件事故の原因はすべて小口車に追突させた被告御囲にあり、山田には運行上の過失はなかつたものである。

そして、被告仙台佐藤としても運転者の選任監督および車両の整備等の運行管理についても注意を怠つたことはなく、また、山田車には構造上の欠陥または機能上の障害もなかつたものである。

第五被告らの主張に対する原告の認否

いずれも否認する。

第六証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

原告と被告仙台佐藤との間では請求原因第一項は事故の態様を除いて当事者間に争いがなく、原告と被告三貴通商、同清水、同御囲との間では、請求原因第一項(一)ないし(五)および(七)については小口車の運転者が亡正喜で亡節夫が同乗者であるとの点および御囲車が本件事故の加害車であるとの点を除いて当事者間に争いがなく、同(六)については接触の前後および態様の点はともかく、小口車および御囲車が接触したことは当事者間に争いがない。

ところで、被告三貴通商は御囲車が本件事故の加害車であることを争つているので、亡正喜、亡節夫および亡信一の死亡が御囲車の運行によるものであることを否認しているものと解されるが、成立に争いのない甲第二五号証の一ないし三、乙第二七号証、同第四二号証、同第五四号証、同第六〇号証、同第七〇号証、小口車、山田車、御囲車の破損状況を撮影した写真であることに争いのない乙第三ないし二四号証、被告清水本人尋問の結果および弁論の全趣旨によつて小口車の破損状況を撮影した写真であると認められる乙第三二ないし三五号証、同第四五号証、同第四六号証の一、二および鑑定証人江守一郎の証言を総合すると、小口車と山田車および御囲車の衝突の原因、態様、順序の点はともかく、本件事故の際には小口車と山田車および御囲車がそれぞれ衝突しており、その三重衝突の過程において小口車が土浦方面に向つて走行中の山田車と東京方面に向つて走行中の御囲車との間に狭まれて押しつぶされるという瞬間があつたことが認められ、右事実によると、御囲車が衝突したときには既に亡正喜ら三名が死亡していたというような御囲車の衝突と亡正喜ら三名の死亡との間の因果関係を否定する積極的な事実が認定されないかぎり、御囲車の衝突と亡正喜ら三名の死亡との間には因果関係があるものと推認するのが相当であるところ、右のような因果関係を否定する事実は本件全証拠によつてもこれを認めることはできないので、御囲車の衝突と亡正喜ら三名の死亡との間に因果関係を肯認することができ、以上の事実によると、小口車と山田車および御囲車の衝突の原因、態様、順序について判断するまでもなく、亡正喜ら三名は御囲車の運行によつて死亡したものということができる。

二  責任

(一)  被告三貴通商および被告仙台佐藤の運行供用者責任

被告三貴通商が御囲車を所有してこれを自己のために運行の用に供していたこと、および被告仙台佐藤が山田車の所有者であることは当事者間に争いがなく、証人山田芳男の証言によると本件事故当時山田車は被告仙台佐藤の業務のために運行されていたことが認められる。

右事実によると、被告三貴通商は御囲車の運行供用者として、被告仙台佐藤は山田車の運行供用者として自賠法三条但書による免責が認められないかぎり、同条本文に基づき本件事故によつて亡正喜、亡節夫および亡信一が死亡したことによる損害を賠償する責任がある。

(二)  被告三貴通商の免責の抗弁に対する判断

被告三貴通商は、本件事故は小口車を運転していた仮免中の亡節夫が制限時速を三〇キロメートルもこえる高速度で無謀な追越をして小口車左後部フエンダーを御囲車前バンバー右先端に接触させ、ろうばいして右にハンドルを切つたため小口車が対向車線にとび出して対向の山田車と正面衝突をし、山田車と一体となつて押し戻されてくる小口車に御囲車が巻きこまれて三重衝突の形になつたものであつて被告御囲に過失はなく、本件事故は亡節夫および山田車運転手の過失によつて発生したものであると主張して乙第五四号証〔被告御囲に対する水戸地方裁判所竜ケ崎支部昭和四八年(わ)第七号業務上過失致死被告事件(以下、これを単に刑事事件という。)について同裁判所から鑑定を命ぜられた鑑定人江守一郎が作成した鑑定書〕、乙第七〇号証(右江守一郎に対する刑事事件での証人尋問調書)および鑑定証人江守一郎の証言(以下、この証言および乙第五四号証、同第七〇号証の内容を包括して江守鑑定と呼ぶ。)をその主張に副う証拠として援用し、被告御囲(昭和五〇年(ワ)第七二六三号事件の係属前に証人として尋問)も右主張に副う供述をしており、乙第三八号証の一、二(刑事事件の公判における被告御囲の供述調書)にも右主張に副う供述記載がある。

しかしながら、他方前掲甲第二五号証の一ないし三、成立に争いのない甲第二四号証(刑事事件の公判における警察官飯村富士男の証人調書)、同第二六号証の一、二(現行犯人逮捕手続書)、乙第四〇号証(刑事事件の公判における前記飯村の証人調書)、同第四一号証(刑事事件の公判における警察官神林稔の証人調書)、乙第六二ないし六五号証(被告御囲の警察官および検察官に対する供述調書)および証人川崎重信の証言ならびに原告久司、同平八の各本人尋問の結果を総合すると、被告御囲は事故直後の実況見分の際にも警察官および検察官の取調べに対しても、前夜八時に大阪を出発して事故のときまでろくに眠つていなかつたので事故現場で居眠り運転をし「ガチヤン」という音で気がつくと自車が前を走つていた小口車に追突して同車を対向車線に押し出し同車は対向してきた山田車に衝突しており、自車も山田車に接触したうえ小口車の前方にいた普通貨物自動車(以下、原田車という。)に追突してしまつたという趣旨の供述をして本件事故の原因が自己の居眠り運転にあることを認めており、竜ケ崎警察署で原告久司、同平八らと会つたときにも自己の居眠り運転を認めて涙を流して右原告らに謝罪していたことが認められるので(被告御囲は前記証人尋問の際にも刑事事件の公判においても右のような供述をしたことはないと述べているが、前掲他の証拠に照らして措信し難い。)、被告三貴通商の右主張に副う前記御囲の供述および江守鑑定は被告御囲の右供述および山田車運転手の供述等の他の関係証拠と関連のうえで証拠価値が検討されなければならない。

そこで、先ず被告御囲の供述の信ぴよう性について考えてみるのに、前掲甲第二五号証の一ないし三および乙第六〇号証によると事故後小口車は停止した山田車の前部バンバー下に喰いこんでいて路面には山田車が小口車を引きずつた擦過痕が残つていたのに対し、御囲車は山田車との接触は一見して明らかであるが、小口車への追突を直ちに疑われるような破損状況ではなかつたことが認められるので、もし、被告御囲が刑事事件の公判や証人尋問の際の供述のように事故当時居眠り運転をしていなかつたのであれば、山田車運転手の山田芳男から小口車へ追突したといわれたとしてもこれを否定することができたはずであり、かりに事故が一瞬の出来事であるために小口車と接触したかどうかがよくわからなかつたとしても、少なくとも居眠り運転の事実は否定したはずであり、取調べに当つた警察官も被告御囲が否認しておれば被告御囲よりも疑われて然るべき立場にあつた右山田の供述のみを取りあげるはずはなかつたであろうと考えられるので、被告御囲の警察官および検察官に対する供述は衝突態様や衝突地点および追越地点の位置ならびにこれら地点間の距離に関する部分についてはともかく事故当時居眠り運転をしていたという点については任意性のある供述として信ぴよう性を認めるのが相当であり、刑事事件の公判や証人尋問における供述のうち少なくとも居眠り運転を否定している部分は措信することはできない。なお、原本の存在成立に争いのない乙第四七号証および同証拠によつて成立を認め得る乙第二八号証によると矢崎総業株式会社のチヤート紙分折係員細川年秋は御囲車のタコグラフのチヤート紙の所見からは被告御囲は事故当時居眠り運転をしていなかつたと推測される旨の意見書を作成しており、刑事事件でも同旨の証言をしていることが認められるが、右意見は速度が急激に下降している場合を意識のある状態、加速途上あるいは減速直前に異状記録をした場合を無意識(居眠り)による運転と仮定したうえでの推測にすぎず、右会社が水戸地方裁判所竜ケ崎支部に提出するため同人も関与して公式に作成した鑑定書(成立に争いのない乙第四二号証)はチヤート紙の分折から居眠り運転かどうかを明確に判断することはできないとしており、右細川もこの点は刑事事件の証言において認めているので、前記乙第二八号証および同第四七号証は被告御囲の警察官および検察官に対する供述の信ぴよう性を認めるについて妨げとなるものではない。

次に江守鑑定について検討すると、同鑑定は人間には反応遅れがあるので極く短時間の出来事である車両同士の衝突事故においては当事者や目撃者の信ぴよう性は少なく証言による事故の再現は極力避けるべきであるとして刑事事件に証拠として提出された実況見分調書、事故現場写真、関係車両の損傷状況の写真等を資料に各車両の停止位置、車体の損傷状況と付着塗料の状況、路面に残された痕跡等の物的証拠を収集し、自動車事故工学および力学的知識を用いて物的証拠をすべて無理なく説明し、力学的にも矛盾しない衝突態様を求めるという基本方針のもとに鑑定をすすめており、右基本方針そのものは極めて正当であるが、鑑定結果の採否を決するに当つては、証言の信ぴよう性を疑うの余り信ぴよう性のある証言まで排除してはいないか、事故の物的証拠の収集に当つて重要な証拠の収集もれはないかどうかが検討されなければならない。

ところで、江守鑑定は結論として御囲車は小口車と二度接触しており、第一回は実況見分調書(甲第二五号証の一ないし三)で被告御囲が小口車に追突した地点であると指示した点より手前、土浦寄り約七メートルの所であり、その時の御囲車の速度は約五〇キロメートル、小口車の速度は約九〇キロメートルと推定され、接触の態様は小口車が追越を完了する直前に小口車の左後部フエンダーが御囲車の前バンバー右端に接触したものであり、小口車はその衝撃で対向車線に押し出されることはなく、むしろ左回頭して自車線の外側に向うことになり、小口車がなぜ対向車線に進入したかをはつきり断定することはできないが、自車が左に回頭しそうになつたため反射的に右にハンドルを切つたのではないかと推測され、いずれにしても小口車は被告御囲が実況見分で小口車と御囲車が衝突した場所であると指示した地点で正面衝突から後部を左に五ないし一〇度振つた形で時速五五ないし六〇キロメートルで進行中の山田車と衝突して山田車のバンバー下にもぐりこんで押し戻され、御囲車はセンターラインオーバーをして後部を左に振つて押し戻された小口車の後部に右サイドバンバーを接触させ、さらに後輪を小口車の後部に衝突させて小口車を山田車の右前輪と自車の右後輪で前後から狭んで車体をひどく変形させ、同時に小口車は右に約九〇度回転して左側面を山田車にかみこまれたままひきずられ、右三重衝突とほとんど同時に御囲車の右前輪が山田車の右後輪とかみ合い御囲車は右前輪が右に大きく回転させられて右スプリングを支えるUボルトとドラツグリングが折損し、その時の衝突速度は御囲車が約五〇キロメートル、山田車が五〇ないし五五キロメートルであり、右三重衝突の直後に御囲車は先行の普通貨物自動車(以下、原田車という。)に追突しているとして山田車との衝突の直前では小口車の速度が御囲車の速度よりもはるかに早く、被追突車の速度が追突車の速度よりはるかに早くなることはあり得ないから、御囲車が小口車に追突して対向車線に押し出したというようなことはあり得ないとしているが、前掲乙第三ないし二四号証、同第三二ないし三五号証、同第四五号証、同第四六号証の一、二、同第六〇号証によると江守鑑定が資料とした写真のうち事故現場で、小口車を撮影したものはいずれも白黒写であり、カラーで撮影しているのは事故現場からの移動によりさらに破損したもので、しかも後部は一部分しか写つていないことが認められるので、小口車の損傷状況や塗料の付着状況の重要な部分に撮影もれがあつたり、事故後の移動による損傷等が混入しているようなことがないとはいいきれない面があり、また、江守鑑定が御囲車のバンバーとの接触による塗料の付着であるとしている乙第四五号証、同第四六号証の一、二の小口車左後部フエンダーの塗料様のものについても、成立に争いのない乙第三〇号証によると日産ヂーゼル茨城販売株式会社土浦営業所整備サービス課長で自動車整備士の資格を有する中島保は刑事事件の公判においてタイヤでこすれて下地が出たものかどうか明確でないとしながらも、同じ日に小口車の屋根を撮影した写真でほぼ同じ色調の出ている乙三二号証(刑事事件の乙第二四号証)の線状の傷については小口車の塗料がはげて下地が出たもののように思うと証言していることが認められ、さらに、成立に争いのない乙第五九号証、同第六一号証によつて成立を認め得る乙第三一号証の(3)、(6)、(7)の写真および図面1によると小口車のテールライトの高さには御囲車の前部バンバーよりもむしろドラツグリングが一致し、御囲車のバンバーは小口車の後部フエンダー側面のテールライトよりも高い位置にある楕円形のチエリーのマーク辺りの高さに一致するのではないかと思われるので、右のように御囲車のバンバーの塗料が付着したものであると断定することにはちゆうちよを感ぜざるを得ない。また、江守鑑定は被告御囲の認知遅れ時間を基礎として御囲車の速度および小口車との第一回目の接触地点を推定しているが、前示のとおり被告御囲が居眠り運転をしていたとすれば右推定は成り立たないはずであろうし、証人原田孝一は本件事故現場道路の東京方面行車線は車が停滞して前方一〇〇メートルから二〇〇メートル位つながつており、同証人の運転していた原田車も前車に続いて一たん停止し、間もなく前車が発進したのでこれに続いて発進し少し加速して二〇メートル前後走つた辺りで御囲車に追突されたと供述しているので、江守鑑定に従うと小口車は前方に一〇〇メートルから二〇〇メートルも車が停滞しており、そのうえ対向の大型貨物自動車が接近しているのに時速九〇キロメートルの高速度で前車を追越して前車と停滞車との間に入ろうとしたというような非常識な運転をしたことになるが、成立に争いのない甲第六号証、同第二〇号証によつて認められる小口車運転手亡正喜(小口車を運転していたのが亡正喜であることは成立に争いのない甲第二三号証および乙第六二号証によつて認める。)の三〇歳という年齢および四年ないし五年という運転経験からすると右結果にはにわかに首肯し難いものがある。さらに、江守鑑定は自動車の追突はほぼ塑性衝突であり被追突車の速度が追突車の速度よりはるかに早くなることはあり得ないから、小口車は御囲車の追突によつて押し出されたものではないとしているが、同鑑定も援用している「自動車事故工学」によると衝突速度が小さい場合は弾性衝突に近くなるとされているので、小口車が前車である原田車に続いて発進して進行中に追突されたとすれば追突車である御囲車と被追突車である小口車の速度差はさほど大きくはなくて弾性衝突に近くなり、大型貨物自動車で運動エネルギーの大きい小口車に追突されると重量の小さい小口車がはねとばされて御囲車よりも速度が早くなり、接触の場所および角度によつては右前方にとび出すこともあり得るのではないかと思われ(前掲乙第五九号証、同第六一号証および乙第三一号証によると追突実験では被追突車が対向車線にとび出すことはなかつたことが認められるが、右証拠によると右追突実験の被追突車は停止中であり、しかもハンドルは固定されていたことが認められるので、右証拠により被追突車が対向車線にとび出すことはあり得ないと断定し得るものではない。)、以上のような点を考慮すると、江守鑑定のうち小口車が時速九〇キロメートルで御囲車の追越を計り、実況見分調書で追突地点とされている地点よりも土浦寄り約七メートルの所で小口車左後部フエンダーが御囲車の前バンバー右端に接触して左に回頭しそうになり反射的に右にハンドルを切つたために対向車線に進入したとしている部分はこれをそのまま採用することはできない。

そこで、被告御囲の供述中の居眠り運転の承認以上にわたる部分の信ぴよう性について検討することとする。

前掲甲第二五号証の一ないし三および乙第六二ないし六五号証によると、被告御囲は実況見分の際や警察官および検察官の取調べに対して小口車が自車を追越して前方に入つた地点、小口車に追突して押し出した地点、小口車が対向の山田車に衝突した地点、原田車に追突した地点およびこれら衝突の順序等についても指示ないし供述したような調書が作成されていることが認められるが、小口車に追越された場所の点はともかく、居眠り運転をしていた被告御囲が一瞬のうちに起つた二重三重の衝突の位置や順序等を明確に認識しているはずはなく、追越地点についてもかりに指示したとしてもこれにさほど信をおけないことは江守鑑定のいうとおりで、右の指示ないし供述中には事故現場の状況等による取調官の認識や山田車運転手山田芳男の供述等に基づく取調官の示唆に被告御囲が応じたのに過ぎない部分が含まれているであろうことは容易に推測されるところである。そして、特に右山田は被告御囲と利益相反する立場にあるので同人の供述の信ぴよう性について検討してみるのに、前掲甲第二四号証、乙第四〇号証、成立に争いのない乙第三九号証の一、二(同人の警察官に対する供述調書および刑事事件の公判における証人調書)、乙第六八、六九号証(刑事事件の公判における同人の証人調書)および同人の本訴における証言によると、同人は大筋においては事故直後から一貫して時速五〇キロメートル位の速度で進行中渋滞車両の後尾にいた小口車が御囲車に追突されて自車の五、六メートル位の前方にとび出してきたので急ブレーキをかけたが間に合わず衝突してしまつたと供述しているが、再三にわたつて法廷に証人として喚問されさまざまな角度から反対尋問を受けたためその供述内容に若干の矛盾がないでもない。しかし、これについては、同人にとつても本件事故は一瞬の出来事なので、同人の供述しているような事故態様であつたとしても同人の認識し得たことはせいぜい自車の進路前方に小口車が御囲車に押されるようにしてとび出してきたので危険を感じて突嗟にブレーキを踏んだが間に合わずに衝突してしまつたという程度であり、事故前に小口車が動いていたか停止していたか、御囲車が小口車のどこにどのようにして接触し、小口車がどのような角度でとび出し、その時の自車との距離は何メートルであつたかというような点までを正確に認識しているはずはないのに、このような点について詳細な尋問を受けたためいきおい一瞬の印象に基づく推測を自己の経験として述べることになり、時を異にするとその間に矛盾が生じてしまつたものと考えられるので、右矛盾を理由に供述全体の信ぴよう性を否定するのは相当ではなく、推測に基づく供述かどうか、他の証拠、特に客観的な証拠との間の矛盾の有無等を検討して信ぴよう性を決すべきである。ところで、前掲甲第二五号証の一ないし三によると本件事故現場は二車線で幅員約一〇・八メートルの直線のアスフアルト舗装道路であり、事故発生時は晴天の午後三時頃で見とおしは良かつたのに御囲車、山田車、小口車のいずれにも衝突前にはスリツプ痕がついていなかつたことが認められるが、もし、本件事故が小口車の御囲車追越の失敗による山田車との正面衝突であれば、前記のように事故現場は見とおしの良い直線道路であつたのであるから、少なくとも小口車、山田車のいずれかが事前に危険を感じて急ブレーキを踏みスリツプ痕を残しているはずであるのに、双方とも衝突前にスリツプ痕を残していなかつたということは右両車にとつて本件事故は全く突然に起つたものであることを物語つており、御囲車にスリツプ痕のないことは被告御囲の居眠り運転をしていたとの供述とも一致している。さらに、右山田にとつて小口車との衝突は自己の進行車線で起つているのであるから、小口車の追越失敗による事故であれば単純に小口車が急にセンターラインを越えてきたから間に合わなかつたと弁解するのが自然であり、警察官が到着するまでの短い間に被害者の救助等も行いながら被告御囲をも巻きこんだ作為的な弁解を考え出したとも思われないので、右山田の供述の大筋は信用して差支えないと考えられる。

もつとも、その場合御囲車が小口車に追突したことによりどのような理由で、またどのような態様で小口車が対向車線に押し出されたのかは明らかでないが、この点は小口車の後部が原形をとどめないまでに大破し損傷状態から接触部位を特定することができないので止むを得ないことであり、被告三貴通商の責任を判断するためには右の点が必ず確定されなければならないものでもないが、小口車は追突されたときに停止していたとはかぎらないので、もし小口車が進行中に追突ないし接触されたとすれば停止している場合よりも回転運動を起しやすいので、比較的軽度の衝撃によつても対向車線にとび出す可能性があつたのではないかと思われる。

そして、小口車が対向車線にとび出して山田車と衝突した後はほぼ江守鑑定のとおりの態様で山田車、小口車、御囲車の三重衝突、御囲車と山田車との接触、御囲車への追突が起つたものと認められるが、同鑑定によると右三重衝突時に御囲車がセンターラインオーバーをしていたという事実も認められ、この点も被告御囲が正常な運転をしていなかつたことを示しているといえよう。

以上の次第で、本件事故は被告御囲が居眠り運転をして御囲車を小口車に追突ないし接触させた過失によつて発生したものと認められるので、その余の点について判断するまでもなく被告三貴通商の免責の抗弁は理由がないというべきである。

(三)  被告仙台佐藤の免責の抗弁に対する判断

前認定の事実によると、本件事故は被告御囲の居眠り運転の過失に起因して発生したものであり、前記のとおり車両同士の事故の際の距離の認識は正確であるとはいえないので、小口車が押し出された地点は前記山田の供述のように山田車の前方五、六メートルというような至近距離ではなく、もう少し距離があつた可能性もないではないが、山田車は時速五〇キロメートル前後で進行中であつたのであるから、右山田が御囲車の小口車への追突や小口車の自車線への進入等の異常を発見して直ちに急ブレーキを踏んでも山田車が停止するまでには二五メートル前後を要し、制動効果が生じるまでの空走距離だけでも一〇メートル前後に達するうえ、対向車である小口車との相対速度はさらに大きくなるので、右山田にとつて衝突を回避することは不可能であつたと認められ、また、前掲甲第二五号証の一ないし三によると、本件事故現場道路には終日駐車禁止の指定がなされている以外に交通規制はなかつたことが認められ、対向してくる小口車および御囲車の異常走行が予想されるような特段の事情があつたとも窺われないので、右山田および山田車の運行供用者である被告仙台佐藤には本件事故の原因となるような過失はなかつたと認められ、山田車に本件事故の原因となるよう構造上の欠陥も機能上の障害もなかつたことは右山田の証言および弁論の全趣旨によつて明らかである。

よつて、被告仙台佐藤は自賠法三条但書により本件事故による損害を賠償する責任はないというべきである。

(四)  被告三貴通商の使用者責任

被告三貴通商が被告御囲の使用者であり、本件事故当時被告御囲が被告三貴通商の業務に従事中であつたことは当事者間に争いがなく、本件事故発生について被告御囲に過失があつたことは前認定のとおりであるから、被告三貴通商は民法七一五条一項に基づいて本件事故によつて生じた物的損害についてもこれを賠償する責任がある。

なお、被告仙台佐藤については同被告が前記山田の使用者であり、本件事故当時右山田が同被告の業務中であつたことは争いがないが、山田に過失のないことは前記のとおりであるから、被告仙台佐藤には民法七一五条一項に基づく責任はない。

(五)  被告清水の責任

被告清水が被告三貴通商の代表取締役であることは当事者間に争いがなく、被告清水本人尋問の結果によると、被告三貴通商は被告清水が個人で営んでいた材木、原木の販売およびその製品の運送等の事業を昭和四六年末に会社組織に改めて設立した会社であり、本件事故当時は資本金二〇〇万円で被告清水が七五パーセント、被告清水の親族の分を合わせると八〇パーセントの株式を同族が所有し、対外的な信用も被告清水個人に依存している会社であり、運行管理者、運行課長等の役職が置かれていたものの保有車両は大型車一〇台、普通車四台であり、総従業員は二四ないし二六名で内運転手は一七名程度の小規模な会社であつたことが認められる。

右事実によると、被告清水は被告三貴通商に代つて現実に被告御囲の監督をしていたものと推認されるから、民法七一五条二項により代理監督者として本件事故による損害を賠償する責任がある。

(六)  被告御囲の責任

本件事故が被告御囲の過失に起因して発生したことは前認定のとおりであるから、被告御囲は民法七〇九条に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

三  損害

(一)  原告よね子、同直子の損害

1  亡正喜の逸失利益 二七三一万六五九二円

成立に争いのない甲第六号証、証人川崎重信の証言によつて成立を認め得る甲第一二号証、および同証言ならびに弁論の全趣旨によると、亡正喜は昭和一七年一二月三日生れの健康な男子で、本件事故当時東京都大田区北千束一―六―八所在の甲陵樹脂株式会社に勤務し、事故前一年間である昭和四七年三月から昭和四八年二月までの間に賞与を合わせて一七六万九八九〇円の給与の支給を受けていたことが認められるところ、労働省発表の昭和四七年度賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表によると同年度の三〇歳から三四歳までの男子労働者の平均賃金(産業、企業規模、学歴計)は現金給与月額九万四四〇〇円、年間の賞与その他の特別給の額が三一万一〇〇〇円で年収に換算すると一四四万三八〇〇円であることが認められるから、亡正喜は本件事故にあわなければ平均余命の範囲内で六七歳まで三七年間稼働し、その間男子労働者の平均賃金程度の収入をあげることができたはずであると推認される。そこで、昭和四八年から昭和五〇年までの分については当該各年度の賃金構造基本統計調査報告の男子労働者の平均賃金(産業、企業規模、学歴、年齢計)を基礎とし、右以降の分については昭和五一年度の右同平均賃金を基礎とし、生活費として収入の三分の一を控除し、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した現価を計算すると別紙逸失利益計算書(1)記載のとおり二七四七万〇四六八円(円未満切捨)となるから、亡正喜の逸失利益は原告ら主張の二七三一万六五九二円を下らないものと認められる。

2  小口車破損による損害 三〇万円

原告よね子本人尋問の結果によつて成立を認め得る甲第三一号証の一、二および同尋問結果によると、小口車は亡正喜が昭和四七年一二月三〇日に中古車を登録手数料等を合わせて三二万四七〇〇円で購入したもので、購入後本件事故まで二ケ月程度しかたつていなかつたものであることが認められ、右事実によると、小口車破損による損害は三〇万円を下らないと認められる。

3  権利の承継

原告よね子は亡正喜の妻として、原告直子は子として、亡正喜の死亡に伴い同人の権利義務を原告よね子が三分の一、原告直子が三分の二の割合で相続したことは当事者間に争いがないから、前記1、2の損害賠償請求権を原告よね子が九二〇万五五三〇円(円未満切捨)、原告直子が一八四一万一〇六一円の割合で相続したものと認められる。

4  病院費用 五〇〇〇円

成立に争いのない甲第九号証証人川崎重信の証言および弁論の全趣旨によると原告よね子は亡正喜の死後処置料、死体検案料、診断書料として五〇〇〇円を下らない費用を支出したものと認められる。

5  墓碑建設費用 二〇万円

原告よね子本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると本件事故は亡正喜ら三名が勤務先の前記甲陵樹脂株式会社の業務で出張中に起きたため亡正喜ら三名の葬儀は同会社の社葬として行われ原告よね子は葬儀費用を負担しなかつたが、亡正喜のために墓碑を建設しその費用として三〇万円程度の支出をしたことが認められる。しかしながら墓碑の建設は当面亡正喜のためのみであつたとしても、将来原告よね子ら一家や子孫全員の霊を祭るためにも利用される可能性がある点を考慮すると右のうち二〇万円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

6  慰藉料 六〇〇万円

前示原告よね子、同直子と亡正喜との身分関係、亡正喜の年齢、その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、亡正喜の本件事故死によつて右原告らが受けた精神的苦痛を慰藉するに相当な額は右原告らに対し各三〇〇万円を下らないものと認める。

7  損害の填補

原告よね子、同直子は亡正喜の母である小口トメとともに自賠責保険から五〇〇万五〇〇〇円を受領し、うち一一〇万円を右トメの慰藉料に充当し、残額を原告よね子の慰藉料および病院費用損害に一九五万五〇〇〇円、原告直子の慰藉料に一九五万円充当したことは同原告らにおいて自認するところであるから、右額は同原告らの前記損害額から控除すべきであり、右額を控除すると原告よね子の損害残額は一〇四五万五五三〇円、原告直子の損害残額は一九四六万一〇六一円となる。

(二)  原告久司、同行子の損害

1  亡節夫の逸失利益 一九六七万一五七〇円

成立に争いのない甲第七号証、証人川崎重信の証言によつて成立を認め得る甲第一三号証、同証言および原告久司本人尋問の結果によると、亡節夫は昭和二七年六月七日生れの健康な独身男子で、本件事故当時前記甲陵樹脂株式会社に勤務し、事故前一年間である昭和四七年三月から昭和四八年二月までの間に賞与を合わせて一〇七万九六四八円の給与の支給を受けていたことが認められるところ、労働省発表の昭和四七年度賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表によると同年度の二〇歳から二四歳までの男子労働者の平均賃金(産業、企業規模、学歴計)は現金給与月額六万三〇〇〇円、年間の賞与その他の特別給の額が一六万七九〇〇円で年収に換算すると九二万三九〇〇円であることが認められるから、亡節夫は本件事故にあわなければ平均余命の範囲内六七歳まで四七年間稼働し、その間男子労働者の平均賃金程度の収入をあげることができたはずであると推認される。そこで、昭和四八年から昭和五〇年までの方については当該各年度の賃金構造基本統計調査報告の男子労働者の平均賃金(産業、企業規模、学歴、年齢計)を基礎とし、右以降の分については昭和五一年度の右同平均賃金を基礎とし、生活費として収入の二分の一を控除し、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した現価を計算すると別紙逸失利益計算書(2)記載のとおり二二万五七一九円となるから、亡節夫の逸失利益は原告ら主張の一九六七万一五七〇円を下らないものと認められる。

2  病院費用 一万七九〇〇円

成立に争いのない甲第一〇号証、証人川崎重信の証言および弁論の全趣旨によると、原告久司は亡節夫の治療費、死後処置料、診断書料等として一万七九〇〇円を下らない費用を支出したものと認められる。

3  葬儀関係費用 四〇万円

原告久司本人尋問の結果によると、亡節夫の葬儀は前記のとおり勤務先の甲陵樹脂株式会社の社葬として行われたが、原告久司はその後岡山県高梁市の自宅においても亡節夫の葬儀を行い、さらに亡節夫のために墓碑を建設したことが認められ、右事実によると本件事故と相当因果関係のある墓碑建設費(墓碑建設費の全額が本件事故と相当因果関係のある損害と認められないことは前記のとおり。)を合わせて四〇万円を下らない葬儀関係費用損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

4  慰藉料 六〇〇万円

原告久司が亡節夫の父、原告行子が亡節夫の母であることは当事者間に争いがなく、右身分関係と亡節夫の年齢・その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、亡節夫の本件事故死によつて右原告らが受けた精神的苦痛を斟酌するに相当な額は右原告らに対し各三〇〇万円を下らないものと認める。

5  損害の填補

原告久司・同行子が自賠責保険から五〇一万七九〇〇円を受領し、これを原告久司の慰藉料および病院費用損害に二五一万七九〇〇円、原告行子の慰藉料に二五〇万円充当したことは同原告らにおいて自認するところであるから、右額は同原告らの前記損害額から控除すべきである。

6  権利の承継

原告久司は亡節夫の父として、原告行子は母として亡節夫の権利義務を二分の一宛相続したことは当事者間に争いがないから、亡節夫の死亡に伴つて前記1の逸失利益請求権を右原告らが九八三万五七八五円宛相続したものと認められるので原告久司の総損害から填補額を控除した残額は一〇七三万五七八五円、原告行子の総損害から填補額を控除した残額は一〇三三万五七八五円となるところ、原告久司が本訴提起後の昭和五一年八月一日に死亡したことが弁論の全趣旨によつて認められ、原告久司の死亡に伴つて同人の権利義務を原告行子が妻として、原告久司承継人竹波昭、同竹波幹男が子として三分の一宛相続したことは当事者間に争いがないので、原告久司の前記損害賠償請求権は原告行子および原告久司承継人竹波昭、同竹波幹男が三五七万八五九五円宛相続したものと認められる。

(三)  原告平八・同蓉子の損害

1  亡信一の逸失利益 一六六七万五一六四円

成立に争いのない甲第八号証、証人川崎重信の証言によつて成立を認め得る甲第一四号証、同証言および原告平八本人尋問の結果によると、亡信一は昭和二六年五月二九日生れの健康な独身男子で、本件事故の二ケ月足らず前である昭和四八年一月一五日に前記甲陵樹脂株式会社に入社し、同年一月に一万八一〇二円、同年二月に五万九二九〇円の給与の支給を受けていたことが認められ、右事実に前示昭和四七年度賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表による二〇歳から二四歳までの男子労働者の平均賃金ならびに亡正喜および亡節夫の同会社における賃金を併せ考えると亡信一は本件事故にあわなければ平均余命の範囲内で六七歳まで四六年間稼働し、その間少なくとも男子労働者の平均賃金の九〇パーセント程度の収入をあげることができたはずであると推認される。そこで、昭和四八年から昭和五〇年までの分については当該各年度の賃金構造基本統計調査報告の男子労働者の平均賃金(産業、企業規模、学歴、年齢計)の九〇パーセントを基礎とし、右以降の分については昭和五一年度の右同平均賃金の九〇パーセントを基礎とし、生活費として収入の二分の一を控除し、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した現価を計算すると別紙逸失利益計算書(3)のとおり一九八八万六九七二円となるから、亡信一の逸失利益は原告ら主張の一六六七万五一六四円を下らないものと認められる。

2  権利の承継

原告平八は亡信一の父として、原告蓉子は母として亡信一の死亡に伴い同人の権利義務を二分の一宛相続したことは当事者間に争いがないから、右逸失利益請求権を右原告らが八三三万七五八二円宛相続したものと認められる。

3  病院費用 一万円

成立に争いのない甲第一一号証、証人川崎重信の証言および弁論の全趣旨によると、原告平八は亡信一の死後処置料、診断書料等として一万円を下らない費用を支出したものと認められる。

4  葬儀関係費用 四〇万円

原告平八本人尋問の結果によると、亡信一の葬儀は前記のとおり勤務先の甲陵樹脂株式会社の社葬としても行われたが、原告平八はその後北海道芦別市の自宅においても亡信一の葬儀を行い、さらに亡信一のために墓碑を建設したことが認められ、右事実によると本件事故と相当因果関係のある墓碑建設費(墓碑建設費の全額が本件事故と相当因果関係のある損害と認められないことは前記のとおり。)を会わせて四〇万円を下らない葬儀関係費用損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

5  慰藉料 六〇〇万円

原告平八が亡信一の父、原告蓉子が亡信一の母であることは当事者間に争いがなく、右身分関係と亡信一の年齢・その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、亡信一の本件事故死によつて右原告らが受けた精神的苦痛を慰藉するに相当な額は右原告らに対し各三〇〇万円を下らないものと認める。

6  損害の填補

原告平八、同蓉子が自賠責保険から五〇一万円を受領し、これを原告平八の前に慰藉料および病院費用損害に二五一万円、原告蓉子の前記慰藉料に二五〇万円充当したことは同原告らにおいて自認するところであるから、右額は同原告らの前記損害額から控除すべきであり、右額を控除すると原告平八の損害残額は九二三万七五八二円、原告蓉子の損害残額は八八三万七五八二円となる。

四  過失相殺の主張に対する判断

被告三貴通商、同清水、同御囲は本件事故発生については小口車を運転していた亡節夫にも運転未熟等の過失があるから、相当な過失相殺をするべきであると主張するが、小口車を運転していたのは亡正喜であることは前認定のとおりであり、亡正喜に右のような過失があつたことを認め得る証拠も存しないから、右主張は採用しない。

五  結び

そうすると、被告三貴通商、同清水、同御囲は各自、原告よね子に対し一〇四五万五五三〇円、原告直子に対し一九四六万一〇六一円、原告行子に対し一三九一万四三八〇円、原告久司承継人竹波昭に対し三五七万八五九五円、原告久司承継人竹波幹夫に対し三五七万八五九五円、原告平八に対し九二三万七五八二円、原告蓉子に対し八八三万七五八二円および右各金員に対する本件不法行為の日である昭和四八年三月九日から各支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになり、右範囲内である被告三貴通商、同清水、同御囲に対する原告らの請求は弁護士費用の点について判断するまでも理由があるのでこれを認容し、被告仙台佐藤に対する原告らの請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇)

逸失利益計算書

(1) 亡正喜の逸失利益

(107,200円×12+337,800円)×(1-1/3)×0.9523=1,031,150円………〈1〉

(133,400円×12+445,900円)×(1-1/3)×0.9070=1,237,571円………〈2〉

(150,200円×12+568,400円)×(1-1/3)×0.8638=1,365,264円………〈3〉

(166,300円×12+560,500円)×(1-1/3)×(16.7112-2.7232)=23,836,483円………〈4〉

〈1〉+〈2〉+〈3〉+〈4〉=27,470,468円

(2) 亡節夫の逸失利益

(107,200円×12+337,800円)×1/2×0.9523=773,362円………〈1〉

(133,400円×12+445,900円)×1/2×0.9070=928,178円………〈2〉

(150,200円×12+568,400円)×1/2×0.8638=1,023,948円………〈3〉

(166,300円×12+560,500円)×1/2×(17.9810-2.7232)=19,500,231円………〈4〉

〈1〉+〈2〉+〈3〉+〈4〉=22,225,719円

(3) 亡信一の逸失利益

(107,200円×12+337,800円)×0.9×1/2×0.9523=696,026円………〈1〉

(133,400円×12+445,900円)×0.9×1/2×0.9070=835,360円………〈2〉

(150,200円×12+568,400円)×0.9×1/2×0.8638=921,553円………〈3〉

(166,300円×12+560,500円)×0.9×1/2×(17.8800-2.7232)=17,434,033円………〈4〉

〈1〉+〈2〉+〈3〉+〈4〉=19,886,972円

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